昭和のカッコマン

今日、またまた悲しい事実が。
高校が同じで、デザイン専門学校時代からの同級生が昨年12月頭に亡くなっていました。
昨年12月は片岡のことでバタバタしていて、気にはなっていたのですが連絡していませんでした。
連絡が取れないので、今日、お兄さんに電話して知りました。

デザイン専門学校の時はよくモテていて、いつも女性と一緒、気取った奴だと距離を置いていたのですが、一度ロビーで派手な喧嘩をして、時々一緒に遊ぶようになりました。
街をぶらついたり、ディスコにドライブ、音楽(当時はカセット)の貸し借りなど、若い頃から派手な事故を起こし「顎が割れた」と自慢するように話す奴だったので、少々のことにはびっくりしません。
18年ほど前になるのか、携帯は使われてなくて連絡が取れなくなり、家まで行くと車も無い。
どうしたものかと心配していると肝臓が悪くて入院していました。
それも命が危ないと、当時の奥さんが携帯を解約して、車も処分したとのこと。一度死にかけているのです。その後、奥さんとは正式に別れて松山に住んでいたのですが、子供とは会っていました。
子供が訪ねて来た時にはうちに来て鍋を囲んだりしました。
酒が好きで無茶をして、事故も度々、おかげで免許は取り上げられ交通手段は自転車での生活、それでも、子供に残してやりたいと、ガードマンの仕事を愚痴りながらも頑張っていました。
処方されている薬と酒とで朦朧としている時もあり、注意することも度々、それでも彼の奥底にある純粋なものが見え「昭和のカッコマン」なんだと思っていました。

シャイで無謀でカッコつけ、いいセンスしているのに世間の不条理に合わなかったかなあ。
寂しさゆえか、SNS上の詐欺にあったりもして、人のいい奴がこんなに簡単に騙されるという判例のような人生の終盤でした。

ピュアな人間が生きづらい世の中、なんとかしたいものです。

彼が北海道産の高めの蟹を買って、うちのお母さんに食べてもらおうやと言ったのが昨年の夏、それが最後となってしまいました。
電話では、昨年末に北海道産のホッケなどいろいろ食べようと言ってたのに実現しなかった、ごめんな。
ゆっくり休めよ。
合掌

彼が北海道から取り寄せたという高い蟹

料理にこだわりのある彼は、オススメの三輪素麺山本白龍をゆがいて、蟹といっしょにご馳走してくれました。
極細素麺の感触を初めて味わいました。

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