片岡裕之という男

今朝、片岡裕之のお母さんから電話がかかりました、「息子が危篤状態」だと。

11月終わり頃、急遽入院して意識がない状態、脳から血を抜く手術をしてから2回の手術を経て、意識も戻り一般病棟へ移り、回復へ向かうはずだったのに。
「昨日は冗談まじりの会話もあったんですよ」というのに何故・・・
今朝急変したらしい、車で県病院へ向かう途中にお母さんから電話が入る、「今、息を引き取りました」
間に合わなかった、もう一度、声をかけてやりたかった。

片岡裕之55歳、若すぎる!

BuzinArtが女性スタッフを募集していた時、面接に来たのが34年前になるだろうか。
江口洋介を意識してるのか、髪が長くて後ろで結んでいましたが、女性ではない、「とにかく事務所へおいで」と日程を決めました。
しかし、その日に石手川の土手でバーベキューをしようと思いつき、事務所のみんなで出かけ、事務所を空けてしまいました。
片岡は事務所へ来て誰もいないので慌てたらしい。
電話をもらい、その日だったか翌日だったか、会ったのが始まりで、約14年間一緒に仕事をしました。
何かにつけ、髪を切ってやるとハサミを持って追いかけたこともあります。

お人好しで、頑固で、突き詰めるタイプで長時間仕事をする、みんなに頼られる、また、利用される男でした。
友人関係のことや仕事の進め方や彼が持っていたパニック症のことなど、なんとか考え方を変えようと長い話し合いをしたことも度々ありますが、浸透していたかどうかはわかりません。
工学系の学校を出ているのにグラフィックの世界に入り、図面や地図を描くのが好きだったように思います。
バイクが好きで泥臭くて、酒が飲めなくて、よく食べて、忙しいと言いながらよく喋る、歌を歌えば下手くそで、独特の面白さを持った男でした。
14年も仕事をしていれば、担当の仕事もあり、ネットワークもできます、片岡風の仕事が進めていけるようにと独立を勧めて「engine」がスタートしたのです。

BuzinArtが解散した後に出会った時、私が「ワシ、デザインはやめてもいいんよ」と話したら、泣きながら「ダメですよ」と話す片岡に私はびっくりしたのを思い出します。
その後も今までと同様に仲間として会う機会も多く、食事したり、遊んだり、たまに仕事の手伝いをしてもらったり手伝ったりという関係で、とても頼りになる男でした。

身体を蝕んでいったのはいつ頃なのか、彼の持つストレスが気になり、「仕事を選べ」とか「嫌な仕事は断れ」とか話していたんですが、何回か頼まれると断れないんですよね。
予算とは関係なく、丁寧な仕事をするので重宝されたんですね。

久しぶりに出会った時、茶色い顔色が気になり、よく注意したものです。
運動が大事だとテニスにも誘い、一度ラケットを振ったことがあります。その時は、頑張って動くのですが、つまづき転び肋骨にひびが入り断念しました。
「ワシより先に死んだら、香典はやらんぞ」
という冗談を何度か言ってると
「武仁さんが先に逝っても香典はもらえんじゃないですかー」
「わかったか」
こんな会話がとても虚しいです。
何にしても無骨に一生懸命で、憎めない頑固者です。
その他、初めてのデートや恋の話など思い出を話せばきりがない、とても辛いです。

先に逝った尾崎くんと何かを突き詰める会話をしてください。
すれ違いながら笑い、いつまでも噛み合わない会話に花を咲かせてください。
死んだ人間にしか分からない、死後の世界をふたりで楽しんでください。

今までありがとう、合掌

2018年10月13日 48時間デザインマラソンでは、私と片岡との共同作業で取り組みました。
パニック症の彼を無理に引っ張り出して「ワシにまかせろ」と言いながら、プレゼンをミスってしまいましたが、今ではいい思い出です。

2017年8月、尾崎くんの還暦をみんなで祝いました
2021年に亡くなった尾崎くんが、片岡を呼んだのかと思ってしまいます

2023年2月、ニューヨークの友人が松山に帰ってきたときには、いつも炉辺戸に集まり遅くまで話します
同級生が集まるのに、何故か、いつも呼ばれて楽しい時間を過ごしました

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