パーキンソン症候群を患った義理の母を2021年1月にうちに迎え、介護生活が始まりました。
松野町の大きな家に一人でおいてはおけないと、ツレが独断で決めたことです。
覚悟の上だとは言え、大変な生活の始まりです。
食事・デイサービス・リハビリ・何より本人の思いなど、ウチは仕事場と家庭がいっしょなので、そこに介護生活がプラスされることは収拾のつかないこともあり、大変なことなのです。
しかし、お母さんの不安を考えると「松野町に帰りたいだろうな」と察しながら、できることを考えた日々でした。
お母さんと一緒に過ごした4年半、いろんなことがありました。
デイサービスでしかお風呂に入れないようになり、週2回から3回通いました。転けたりして車椅子が当たり前になり、車椅子から転げたこともあり大騒ぎの時もありました。
自分で食べることができたことは救いですが、それも徐々に量が少なくなり、一緒に食卓を囲むことができなくなりました。
ずっとその間、文句も言わず、愚痴もこぼさないお母さんに感謝しかありません。
お母さん、ありがとう。
明日はお通夜、今眠っているようなお母さんの顔を見ながら信じられない夜を過ごしています。

お母さんの笑顔はみんなを癒しました。
おおらかで、おとぼけで明るいお母さん、いい表情の写真を見つけ、背景にお母さんの育てたビオラの写真を合成しました。
花が大好きだったお母さん、タイトルバックの花のランタナ(和名 七変化)もお母さんが名前を教えてくれました。
お母さんの本意ではないだろうけど、気兼ねのない娘達に世話されて良かったんじゃないかなと想像してます。
「幸せ」をテーマの作品作り募集があり、お母さんの手合わせを使いました。

松野町の思い出だけでなく、お母さんの里、島根の出雲へ一緒に行ったり、四万十川のほとりの道の駅や宇和島でご飯を食べたり、滑床渓谷へも何度も行きましたね、本当にたくさん思い出があります。
お父さんが亡くなってから、そして、この4年半、近くでお母さんのお世話ができて、うちのツレも幸せだったと思います。
お母さん、本当にありがとう。